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茉途衣祈祷塾

第二十九項 観自在王如来(かんじざいおうにょらい)

2023.11.12

コメッターの皆様、茉途衣です。
本日は、観自在王如来(かんじざいおうにょらい)のお話です。

くされ縁を断つ
愛に満ちた毎日がやってくる
物事を正しく観る智慧を与える仏様
過去世の因縁から離脱し清浄の境地に至ることができる

理趣経[第四段・観照の法門の解説]

『その時でした。世尊であられる自性法性清浄如来さまは・・』から観照の法門は始まる。ではこの自性法性清浄如来とは誰かと言えば、観自在王如来のことである。「その本質が清らかであることを宇宙の法則としている如来」というような意味で、まさに観自在王如来そのものを表現している。で、この観自在王如来は阿弥陀如来のことである。西方の極楽浄土の教主である阿弥陀如来の別名が観自在王如来ということ。また阿弥陀如来には無量寿如来とか無量光如来とかの呼び名がある。要するに阿弥陀さまにはたくさんの別名がある、ということである。そして第三段の教主が東方の阿閦如来であったことを思い出せば、これにはある法則性が存在していることが解る。この件は段を追うごとに明らかになるから、後にまとめて説明することにする。この観自在王如来の説法とは、

『世の中のあらゆるものごとは平等であり、それはすべてを余すところなく観て、すべてを救済することが出来る観自在菩薩の働きにより顕された、悟りに至る真理に他ならない。それはこのようなものである

世の中のあらゆる欲望は清らかなのだから、すなわちあらゆる怒りは清らかなのである

世の中のあらゆる心の汚れは清らかなのだから、すなわちあらゆる罪は清らかなのである

世の中のあらゆる現象は清らかなのだから、すなわちあらゆる命は清らかなのである

世の中のあらゆる智慧は清らかなのだから、すなわち般若波羅蜜多は清らかなのである』

世の中のいっさいがっさいはみんなみんな清らかなのだ、と観自在王如来はおっしゃる。それは観自在菩薩の心のエネルギーである救済意識から導き出されたものだという。金剛界大マンダラ(成身会)を見れば解るように、西方の観自在王如来の球体エリアに座るその四親近菩薩の筆頭は金剛法菩薩、すなわち観自在菩薩である。観自在王如来のエネルギーが顕現化したのが観自在菩薩であるということ。このすべては清らかであるという悟りのエネルギーを持ってすれば、あらゆるものは清らかとなる。煩悩もすべての罪もである。もちろん第三段の解説でも述べたように、それはあくまでも悟っていることが前提になる。あなたは目の前にあるすべてのことが清らかに見えますか?。それが出来て初めて煩悩もすべての罪も清らかになる。俗世のしがらみに心を囚われ、自分の価値基準でものごとを差別し、常に目の前のことに一喜一憂している我々にとって、その目の前のことが何もかも清らかに見えるなんて、どう考えても不可能だろう。なぜなら悟っていないからである。だから観自在王如来は悟りなさいとおっしゃっている。『金剛薩埵よ。そのためには、このすべては清らかであるという四清浄の教えを読誦し、暗唱し、常に心に刻みつけていること。そうすればすべてが「空」であるという般若波羅蜜多の境地に至り、たとえ様々な欲望に塗れた世界にいようが、蓮華の如く諸々の塵芥(ちりあくた)に染まることなく、いずれは最高の悟りに至ることが出来るだろう』という。あくまでも対告衆の筆頭は金剛薩埵である。観自在王如来は金剛薩埵に向けて説法している。するとおそらくその脇にいたであろう観自在菩薩は、このあらゆるものは本来清らかであるという教えを明確に表現しようと、お顔に微笑みを浮かべ、蓮華の花のようにあらゆる欲望に染まらない勢いをみせながら、すべての命あるものは様々な色合いを持ってその個性を生かしながら生きている、という心を「キリーク」という種字に表して唱えた。この第四段では観自在菩薩が三密のエネルギーを放って悟りを表現するが、それは観自在王如来と観自在菩薩は二味一体であるからである。だったら観自在王如来は直接、観自在菩薩に話しかければいいものを、なぜ金剛薩埵を通してワン・クッション置くのか。なんか観自在菩薩が観自在王如来に無視されているみたいでかわいそうじゃないか、という意見が聞こえてきそうだが、理趣経の主人公はあくまでも金剛薩埵である。大日経も金剛頂経も主人公は金剛薩埵である。理由は何度も述べているが、金剛薩埵は大日如来という宇宙エネルギーの顕現であり、すべての存在に行き渡る悟れる心(菩提心)の源である。従って、すべては金剛薩埵であり、そしてあなたであるということ。あなたが金剛薩埵なんだから、教主がまずあなたに向けて法を説くのは当然である。なぜならあなたがこの宇宙の主人公なのだから。


手印は、観自在菩薩印です。
真言は、オン アロリキャ ソワカ

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